FC2ブログ

MBSヤングタウン

MBSラジオ(毎日放送)が深夜に放送しているラジオ番組

ある方法により
とうとう
ヤンタンを聴けることとなった。
きっと法律的にはいかんと言われるのだろうが、
なに
怒られるまでは
知らんふりして
夢を叶えるのだ
この部屋で
ニッポン放送も、文化放送も、長崎のも沖縄のも聴けるのだ。
ああ、信じられない。

こんな素晴らしい事はせっせと広め、
常識にして、
法律で守るべきだ。
そう拳をあげたくなる。

嬉しくてすぐ相棒に教えた。
相棒はもちろん喜んだと思う。


日吉
スポンサーサイト



書けました。ありがとう

24日土曜日、予告なしに勇一がやってきて慌てた。出かける寸前だったのです。

ところが有難いことに、ブログの書き方を教えに来てくれたのです。

仕事帰りに寄ってくれたというから感謝感激。早速習ってこうなりました。ばんざいばんざい! KURI

宿六さん

宿六さんの胸骨は2本折れていたことが判明。
最初の診断は第8胸骨骨折。
土曜日で代理の出張医師がしたもので
昨日改めて院長の再診を受けて、
第9、10の骨折とわかりました。

へえー、
道理で痛がる場所が動いて変だなあと思っていたんだと合点。
宿六の辛抱強さをほめましたら、
いずみの苦痛はきっとこんなもんじゃなかったろう。
そう思ったら我慢が出来たといいます。
ほんとはすごい痛がりやの筈なのですが…。

私たち、打たれ強くなったものです。
トホホ 

KURI

ピザちゃん

ピザを注文して、
茶の間に行って、
祖母に伝えた。
「おばあちゃん、
これからピザ屋さんがくるから、
ピンポンが鳴ったら、
ぼくを呼んでね。
二階から降りてくるから」
祖母は、
「わかったよ」と頷く。

ぼくは二階に戻って、
部屋で音楽を聴きながら、
ピザが到着するのを待っていた。
待てども暮らせども来ない。
三十分で来るといっていたのに、
予定を十五分も過ぎている。

茶の間に降りて祖母に訊いた。
「おばあちゃん、ピザ屋さん来なかった?」
「知らん」
知らんてどういうことだろ?
「知らんけど、
膝ちゃんていう君の悪い男が来たから帰ってもらった」
膝ちゃん?
「ああ、女みたいに優しい声で、
「膝ちゃんです」
気味が悪い。
そんな人わたし知りませんって帰ってもらった」
と、えらい剣幕で、
ぼくにあたる。

「ピザちゃん」というのが店の名前なのだが、
祖母は、
それを男の人の名前だと思った。
しかも膝ちゃんだと思った。
だから、
インターホン越しに、
「はい、どちら様ですか?」
「お待たせしました。
膝ちゃんです」
「膝ちゃん?」
「はい、膝ちゃんです」

それは気味が悪い。
玄関を開けなかった祖母が正しいなと思った。

日吉







読めました

昴例会で私が
「ひとこと欄への参加法が解らない」
と言ったら皆が首をかしげた。
口惜しくて、
情けなくて、
再挑戦してみたら難なく開けた。
どんどん読んだ。
 
ほとんど日吉の独壇場だが、
おもしろい。
負けずにふうちゃんの合いの手が入ればもっと盛り上がるだろう。

KURI

今夜は最高!

部屋を真っ暗にして、
テレビだけつけて、
ベッドの中から見るのが好きだった。
まるで映画館にいるように、
発光する画面を熱心に見つめた。
中でもお気に入りなのが、
土曜の二十三時から五チャンネルで放映した、
「今夜は最高!」である。

コント、トーク、音楽の三部構成で、
大物ゲストを招き、
ホスト役のタモリに思う存分遊ばせる、
当時としては、非常にゆるい作りの番組だった。

タモリがふざけるとスタッフが笑う。
スタッフが笑うとぼくも笑う。
大人のひとの笑い声を聞くのが好きだった。
太い低音の声が楽しそうに笑っているのを耳にすると、
安心して、
幸せな気持のまま、
眠りにつけるのだった。

パイオニアが番組の単独のスポンサーである。
以来ぼくのなかでは、
オーディオメーカーのブランドとして、
パイオニアは別格となっている。

日吉

宇宙猿人ゴリなのだ

昔、我が家には大きなステレオセットが置いてあった。
棺桶ぐらいのサイズで、
脚が四本あり、
スピーカーとチューナーを内蔵する一体型で、
祖父の亡くなった部屋にどんと鎮座していた。

当時よく聞いたのが、
スペクトルマンのシングルのB面である、
「宇宙猿人ゴリなのだ」のテーマだ。

サビにくるとゴリが台詞を叫ぶ、
それが怖くて、いつも泣かされた。
三歳だった。

惑星Eから追放された♪
そのくやしさは わすれはしない♪
宇宙を旅して目についた♪
地球をかならず支配する♪ 
「ラーよ、攻撃の時がきた。ウォーッ」
と叫ぶのだ。
その声が怖い。
三歳児ならみんな泣くのではないか。
子供向けということを頭から外した、
本気の、
容赦のない「ウォーッ」なのだ。

あまりにも怖いので、
信じられなくて、
その歌を何度も聴きたがった。
しかしレコードに触れるのも怖かったから、
かけたい時は家族を呼んだ。
その度に「ウォーッ」のところで逃げ出し、
わんわん泣くので、
冷ややかな目で見られていた。

これを書くにあたり、
探して聴いてみたのだけれど、
「ウォーッ」のところで、
背筋がざわざわとした。
ラーよ、怖すぎるぞ。
「ウォーッ」

日吉

高田文夫

ぼくは相棒とラジオの収録前の打ち合わせをしていた。
コタツの上にターンテーブル、ラジカセ、
カセットデッキ、アンプなどの機材を並べ、
二人の中間にマイクを置く。
ぼくがメインで喋り、
彼が後ろであいの手を入れる、
当時流行ったオールナイトニッポン・スタイルだ。
録音したテープをトランスミッターという送信機を使って、
FM電波にのせ、放送する。
半径三百メートルくらいをカバーするミニFMを、
自宅に開局したのだ。
中学三年の春だった。

「おれは高田文夫だからさ」
と相棒がつぶやいた。
ぼくの中では圧倒的にビートたけしの存在が大きかったので、
後ろでくすくす笑っているだけの高田文夫の比重は、
軽く小さかった。
ところがそのとき相棒のつぶやいた「高田文夫」が、
ひどくかっこよく聴こえた。
控えに徹する分別のありように、
大人の余裕を感じる。
放送作家とは大人の役割なのだ。

その日録った放送はぼくらのベストだった。

たけしの後ろに控える、
高田文夫の笑い声をかっこいいと思う。

日吉

井上ひさし

額入りの作文を飾っている。
井上ひさしの作文教室で、自分が書いて提出した作文である。
A四のコピー用紙にワープロで印字したもので、
左側の余白に、
井上ひさしさんの批評と、朱色の四角い判が捺してある。

「おしまいの四行がいいですね。
簡潔だが、
どこかおかしい文章が、
魅力的です。」

朱色のペンで記した文字は、
色が抜け落ちて、
ほとんど判読できない。
しかし、
すっかり暗記しているので、
ぼくの記憶から抜け落ちる心配はない。

最終日に辞書を一冊頂いた。
辞書の選び方についても教わった。
「簡単な言葉を引いて、比べてみるといい。
それぞれに特色やこだわりがある。
中から気に入ったものを選ぶといい」

授業の第一声は、
「みなさん辞書を持ってきましたか。
持ってこなかった人、手を挙げてください。
作文教室に辞書を置いてくるなんて、
いい度胸です。
お顔を拝見したい。
さ、手を挙げてください」
であった。

目つきの鋭い方で、
目が合うとぼくはどきんとした。

いつか氏から褒められる日が来ると、
自分を励ましていたから、
とても残念である。

日吉


五木寛之と石原慎太郎

五木寛之氏はほんっとかっこいいです。
何十年も前の中学生の頃、図書館で本の題名に魅かれて読んだのが、
「青年は荒野をめざす」「さらばモスクワ愚連隊」など。
内容は覚えていないし、中学生の私には理解も出来なかったと
思うのですが、なんとなく素敵だぁ~~と恋心を感じたものです。
先日、テレビで拝見した氏は、老いてもなお素敵でした。

何歳になられたのかと検索してみたところ、1032年9月30日生まれ.
そこで知ったのは、なんと石原慎太郎氏と同じ誕生日で、
石原氏も五木氏もともに77歳です。
嘘だ!あまりにも違い過ぎる。
占星術占いを趣味としている私は、大好きな五木氏と、
大嫌いな石原氏が同じ誕生日なんて、これはあり得ねえと思いました。

と、しばらく考えてそんなに違うこともないなと思いました。
ともに容姿に恵まれている。(石原氏の顔は私は好きではないが)
ともに文才、言語能力に恵まれて、若い時から作家として、
頭角を現している。(石原氏を私は認めてないが)
だが、決定的に違うのは、五木氏の謙虚で物静かな態度と、
石原氏の傲慢で無礼な態度です(と私は思う)

そこで、またしばらく考えて、これは生い立ちの違いなのだと、
気づきました。石原氏は、稀なる裕福な家庭に生まれ、
弟も昭和の大スターで、常にトップで石原氏自身が権力であった。

一方の五木氏は、九州の炭鉱町で生まれ、朝鮮半島に渡り、
戦後引き上げてきた。そこで見たさまざまな立場の人間の生き様が、
五木氏の強さより弱さ、多数より少数を、大より小をという視点になり、
人間を見つめる優しい眼差しを作り上げたんだと思いました。

人間の品格は、持って生まれたものより、
生い立ちなのだと思いましたね。
説得力ないですかね。

投稿 ふう

真屋順子

男女の仲について狭量な子供だった。
特に、人が浮気したと聞くと、
自分でもわけがわからないくらいに腹を立てるのだった。
テレビの中の夫婦役は、
現実の世界でも、
その通りに夫婦でなければならないのだと思っていた。
まるで一つの真理のようにそう堅く信じて、疑わなかった。
そうでなければ困るのだ。
どうしてそんなにこだわったのか、自分でもよくわからない。
けれどぼくは誰に教わった訳でもなく、そう思い、
そう信じ、大真面目に暮らしていたのだ。
だから、
真屋順子が実生活で萩本欽一と結婚していないことを知ると、
ショックを受けた。
裏切り者だと思った。
夫婦のような顔をして、
欽ちゃんの隣であんなに楽しそうに笑って、
仲良くしておいて、
欽ちゃんじゃない人と暮らしているなんて、どういうことなのだ。
許せん、と思った。
全身から怒りの炎を立てて、真屋順子を憎んだ。
好きだった分、裏返り、倍加し、憎悪となった。
いまでも真屋順子さんを目にすると当時の記憶が呼び覚まされ、
少し悲しい気分になる。
きっとユングなら、
「両親の不仲に対する怯えを、真屋順子に投影していたのだ」
と言うのだろう。
そうだったんだろうな、きっと。

日吉

沢田研二VSピンクレディー

小学校の低学年の頃、
ぼくらのクラスのお楽しみ会は、
なぜかいつもレコード鑑賞だった。
一人一枚ずつ持参できるルールで、
沢山かけたい奴は裏で根回しして、
友人に頼むのである。
ぼくも頼まれた。
沢田研二の「サムライ」を手渡され、
「絶対手をあげろよ」と念を押された。
挙手制で、男女交代でかけることになっており、
どういうわけか男女の仲の良くないクラスで、
お楽しみ会のたびに、それを張り合うのである。
その年は沢田研二対ピンクレディーとなり、
交互にヒット曲がかかった。
一人の男子と一人の女子が根回しに力を入れたためである。
男子は沢田研二がかかるたびに拳を上げ、
女子はピンクレディーがかかるたびに拍手をした。
ぼくは一度も手を挙げなかった。
わからなかったのだ。
いつ手を挙げるべきか、
いや、そもそもどんな顔をして手を挙げたらいいのかを、
考えているうちに、すっかり取り残されてしまった。
とうとう、
残っているのはぼくの机の中の「サムライ」のみとなった。
男子が見守る中、
ぼくは固まり、動けなくなった。
手を挙げて「サムライ」を先生に手渡すだけのことが、
恐ろしくて出来なかった。
「なにしてんだバカ」と頼まれた男子から怒鳴られても、
うつむいたまま聞こえないふりをした。
なぜ約束を破ったのか問い詰められたけれど、
ぼくは答えなかった。
きっと今でも上手く答えられないし、
手を挙げることも出来ない。
お楽しみ会をずる休みするくらいしか、できそうにない。

日吉



スパイダーマン

一九七九年、
ぼくは十歳になり、
「スパイダーマン」がテレビで放映された。
東映が権利を買って作った和製スパイダーマンである。
大好きになり、欠かさず観ていた。
スパイダーマンになりたいと本気で思った。
十歳とはまだそういう年齢なのだ。
ここから糸が出てくれないかなと、真剣に手首を眺めた。
ある日、体育館で友人とスパイダーマンの話をしていると、
広々とした床が高層ビルの壁面に思えてきた。
もしや、と思い、
友人を誘って、四つん這いになり、試しにゆっくり進んでみると、
ビルをよじ登っているみたいだった。
「スパイダーマン!」
これはいい。
すごくかっこいい。
ぼくらはビルから落ちないように、慎重に手足を運び、
体育館の床を端から端まで渡った。
渡りきると、
体育の先生と、そのとりまきの高学年の女子が、
ぼくらを見て笑っていた。
なぜ笑われているのかを理解するのに、少し時間を要した。
十秒か二十秒の間、ぼくは真顔で彼女達を見つめた。
なにがそんなに可笑しいのか、考える。
その間も彼女達は笑い続けていた。
分ったとき、ぼくは目を開かれるような思いがした。
笑われていることに腹は立たなかった。
ああ、そういうことなのかと、思った。
恥ずかしさを覚え、逃げるようにその場を去った。
十歳だった。
あのとき要した時間の分、ぼくは子供だった。
ほんの数十秒だけど、
最後に本気でスパイダーマンに憧れた時間だった。

日吉

あんたのバラード

初恋相手は世良正則が好きだった。
クラスでは目立たない子である。
背が高く、いつも猫背だった。
小学生のくせに吉田まゆみの漫画などを読んでおり、
物知りで、
シャイで、
ぎこちないところのある人だった。
世良正則が好きだと知った時、ショックを受けた。
急いで、自分に世良正則的な部分がないか探したが、見つからなかった。
さだまさし的な部分は一杯あった。
しかし世良とさだでは大違いだ。
なんとかならないか考えた末、
絶望し、いじいじと想い続ける道を選んだ。

世良正則とは、なかなかいい趣味じゃないかと、
やけくそになって感心した。
マッチやトシちゃんではなく、世良か。
さすがぼくの見初めた人だ。
大人だ。大人の女の考えだ。
素敵だと思うことにした。

小学校のお別れ会で、
彼女は黒板の前に立ち、
「あんたのバラード」を披露した。
振り付けつきの熱唱で、
みんなをぽかんとさせた。
仲のいい女子たちも一様にぽかんとしていた。
彼女は世良がのり移ったように、
腰を沈め、がに股になり、
「あんたに」で指をさし、宙をかきむしりながら、唄った。
ぼくはどうしていいか分らず、泣きそうだった。
恥ずかしいのと驚いたのと、助けてあげたいのと、
何も出来ないのがごちゃまぜになり、
失笑の中で熱唱する彼女を、
ただただ見守った。
唄い終わった彼女は、
教室の反応を見て、
世良のカッコよさがいまいち伝わらなかったことに首を傾げていた。

日吉

マスターズ

マスターズの歌を唄える。
それを自慢に思い暮らしている。
たかがゴルフの、いち中継番組につけられた歌である。
しかしイントロのピアノが流れると、
胸は締め付けられ、涙ぐんでしまう。
歌詞に盛り込まれた、
歴代の勝者の名を口ずさみながら、
これから目の当たりにする、
緑の美しい芝生の上での戦いのことを思うと、
怖くなる。
唄い終わり、CMを眺める頃には疲れてぐったりしている。
その三十分後にはうつらうつらして、
気がつくと眠っている。
翌朝また五時に起きて、
口ずさみ、
感動し、
眠る。
毎年それを四日間繰り返し、
もう三十年経つ。
今年も、もちろん、唄う気満々である。

日吉



トキワ荘

トキワ荘で暮らす夢を見る。

入魂の一作を抱え、
トキワ荘の玄関をくぐる。
階段をきしませて上がり、
鍵の壊れたままの扉を開ける。
四畳半の、
かびくさい、
窓と机しかない殺風景な部屋に帰る。
学生服にコートのまま寝そべる。
大きな溜息をつく。
天井からしょんぼり垂れた裸電球を見やる。
天井裏のねずみの何かを齧る音が聞こえる。
そういえば俺も腹が減ったな。
畜生。
ボツにされた原稿を睨み、
くしゃくしゃに丸めたものを天井裏のねずみに向かって投げる。
騒いだねずみの鳴き声が大きくて、怖くなる。
乱暴なノックがあって、隣室のライバルが顔を出す。
「どうだった」
「またボツだよ」
「ふむ。なんていわれた」
「奇をてらいすぎだってさ」
「ふむ。飯は」
「いや」
「田舎からみかんが届いたんだ。おれの部屋に来いよ」
「うん」

いいなあ。そういうの。

日吉

ゴレンジャー

「バンバラバンバンバン♪バンバラバンバンバン♪」
ときたら、
「バンバラバンバン♪バンバラバンバン♪バンバラバンバン♪」
である。
昔のテレビ番組を観ていたら、突然、
ゴレンジャーのエンディング・テーマが流れて、
鳥肌が立った。
実は、三年に一度この「バンバラバンバン♪」が脳内に流れるのだが、
何の曲なのか手がかりを掴めずにいた。
たぶんヒーロー物のテーマ曲のような気がするが、
アニメか特撮かも判別つかぬ状態で、
長年放置していた。
しかし流れるのは気分のいい時だった。
自転車に乗りながらふと口ずさむのである。
風呂に浸かっている時もある。
スピードを上げるタクシーの中でも流れた。
これに近いのはドリフターズの
「ババンバ・バンバンバン♪ハー・ビバ・ノノン♪」
かな。
どっちも大好き。

日吉

FC2 Blog Ranking
03 | 2010/04 | 05
Su Mo Tu We Th Fr Sa
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
プロフィール

同人誌「昴の会」発行中。興味のある方はリンクから覗いてみてね。

Author:同人誌「昴の会」発行中。興味のある方はリンクから覗いてみてね。
FC2ブログへようこそ!

筆者
ほやほや
過去のつぶやき
最新コメント
FC2カウンター
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
ブログ
20187位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
5490位
アクセスランキングを見る>>
リンク
           

FC2Blog Ranking

RSSリンクの表示
QRコード
QR